公務員試験は、資格試験ではありません。つまり、試験合格という資格を与えることや、「優秀な人材」として認証することは目的ではありません。
試験の目的は、来年4月から都庁の職場で働く人材、そして将来、都政の中核を担いうる人材を選抜することです。
受験生の立場では、まずは合格、内定がほしいとの心情になるのはやむを得ませんが、採用当局が見ているのはもう一段階先、就職後の姿です。
まずは当面、(実務的な基礎力や人間関係等を含めて)都庁の職場でやっていけるか、そしてさらには、将来の都庁の中核を担う人材になりうるか、です。
採用試験のあり方に関しては、理想を言えば、仕事と同内容の作業を、実際の職場で、一定期間、継続して試すのがベストです。
例えば、面接で「徹夜の残業になっても大丈夫か」と聞けば、誰でも「大丈夫です」と答えます。
そこで、実際に3日ほど徹夜で作業させてみれば、最後までやり遂げようとするか、途中で投げ出すか、精神的・体力的に厳しい状況でも上司や同僚との人間関係を良好に保てるか、など本来の姿が曝け出されます。
他にも、気難しい上司をどうやって説得するか、組織のミスに対して怒り心頭の都民に自分一人で応対することとなったらどうするかなど、職場で直面しうる様々な状況が想定されます。
そこで、実際に3日ほど徹夜で作業させてみれば、最後までやり遂げようとするか、途中で投げ出すか、精神的・体力的に厳しい状況でも上司や同僚との人間関係を良好に保てるか、など本来の姿が曝け出されます。
他にも、気難しい上司をどうやって説得するか、組織のミスに対して怒り心頭の都民に自分一人で応対することとなったらどうするかなど、職場で直面しうる様々な状況が想定されます。
個人的には、企業が実施しているようなインターンを通じて、実際に職場で1、2ヶ月仕事をしてもらい(あえて無理難題も与えて対処姿勢を見ながら)、実質的な選抜を行うのは理にかなっていると考えます。
もっとも、各受験生に同じ状況・条件を提供するのは極めて難しく、ひいては公平な評価を担保するのが難しいため、公務員試験での導入、殊に都庁のように数百人単位で(幹部候補枠などもない)一括採用を行っている組織での導入は難しいでしょう。
もっとも、各受験生に同じ状況・条件を提供するのは極めて難しく、ひいては公平な評価を担保するのが難しいため、公務員試験での導入、殊に都庁のように数百人単位で(幹部候補枠などもない)一括採用を行っている組織での導入は難しいでしょう。
受験生の側でも、現行の採用試験制度の限られた手段、時間で、「自分という人材が分かってもらえるのか」と思うことがあるかもしれませんが、採用当局も100%理解することは不可能と分かっています。
現時点での資質を完全に見抜くことすら難しいのに、5年後、10年後も、その人材が組織に適応し、存分に活躍しているか、職務への高いモチベーションを維持できているか、ピタリと当てるのは不可能です。
現時点での資質を完全に見抜くことすら難しいのに、5年後、10年後も、その人材が組織に適応し、存分に活躍しているか、職務への高いモチベーションを維持できているか、ピタリと当てるのは不可能です。
当局としては、ある程度は推測、確率論で進めるほかありません。そして、狙った人材を採用できる確率をできるだけ高めるために、これまでも試験制度の改正を行ってきました。
この確率が高くなるよう試験制度が工夫されているほど、採用順位と、入ってからの活躍の度合いは相関関係が強くなるはずです。
逆に、採用順位と採用後の活躍度合いに相関関係がない場合、採用試験としてはうまく機能していないということになります。
逆に、採用順位と採用後の活躍度合いに相関関係がない場合、採用試験としてはうまく機能していないということになります。
なお、念のためですが、採用試験の順位で、配属先、将来異動できる部署や出世が決定されるという意味ではありません。採用試験の順位は、あくまでも入都前の時点でのポテンシャルにすぎません。
(採用後最初の配属先については、別記事「都庁採用後の配属先」をご参照ください)
採用試験全体を通じて当局が何を見ているかを突き詰めると、受験生が仕事に就いた時の取組姿勢や実務能力などのサンプルを見ているということに尽きます。
映画の主役をオーディションで選ぶ際に、シーンのいくつかを試しに演じてもらい、この俳優を主役に抜擢したらどういうイメージになるだろうか、と想像を巡らせるのに近い側面があります。
そして、演技が上手というだけではオーディションを通過できないのと同様、単に優秀なだけでは採用試験にも通りません。専門知識がある、地頭がいいなどは、組織の中で仕事をするための要素の一部にすぎません。
都庁は、自治体としては珍しく、独自に採用試験の問題を作成しています。このため、自分が採用したい人材像に合せて出題傾向を変えるのは容易です。
近年、採用試験も様々な改変がありましたが、庁内の昇任試験も、かつての(知識、記憶偏重の)通過儀礼的なものから、実務能力重視へと進化してきました。
試験を受ける側も、こうした当局の工夫に後れを取ることなく、真に必要とされるスキル・能力を身に付けるよう適応していく必要があります。
試験を受ける側も、こうした当局の工夫に後れを取ることなく、真に必要とされるスキル・能力を身に付けるよう適応していく必要があります。
ただし、単に試験テクニックを磨くことはあまり意味がありません。仮にそれで(採用当局のレーダーを掻い潜り)採用試験は突破できたとしても、仕事に就いてから、本人も組織も困ることになります。
職務の内容も、諸々の処遇も、入ってから差が開きやすい人事制度へと変わっています。かつてのように、「とにかく入ってしまえば、あとは何とかなる(組織がお膳立てしてくれる)」とは必ずしも言えません。
職務の内容も、諸々の処遇も、入ってから差が開きやすい人事制度へと変わっています。かつてのように、「とにかく入ってしまえば、あとは何とかなる(組織がお膳立てしてくれる)」とは必ずしも言えません。
まずは合格しなければ入都後のこともありませんから、試験テクニック的なことも仕上げとして(あるいは保険を掛ける意味で)取り組む分には、否定はしません。
もっとも、採用当局が受験生の何を見抜こうとしているかに立ち帰るなら、当局が欲している人材の問題意識、ものの見方、表現力、あるいは自分の強みとなる専門分野などを、少しずつでも着実に磨いておくことをお勧めします。
結局、このことが採用試験での高評価にもつながります。
≫ 関連記事『採用試験では受験生の何を見ているのか(筆記試験)』
結局、このことが採用試験での高評価にもつながります。
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