受験生が本来の姿を見せてくれれば、面接官にとっては人物像を判断しやすいに違いありません。
ただし、素のあなたを見せれば、その素直さを評価して合格させるとは誰も言ってくれません。
むしろ、「自然体で良い=準備や努力をしなくて良い」と捉えてしまうと、大事な場面に向けて必要な準備をしないタイプの人材と判断されてしまいます。
民間のクリエイティブ関係の職種であれば、それ以外の部分が評価されて合格するかもしれません。しかし、一芸採用を行っているような特殊な枠は別として、公務員試験では致命的です。
(都庁の「新方式」は、教養試験からプレゼン、グループワークまで行われ、総合力が試されています。「一芸採用」ではありません)
基本的に公務員としての適性があると判断されるのは、例え自然体で臨んだとしても、想定される質問・回答を準備したり、リハーサルを自発的に行うタイプです。つまりそういう性分の人です。
面接試験は、そこまで含めての人物審査です。(もっとも、面接の準備=回答の暗記、ではありません)
実際の仕事でも、都民への説明会や議会対応などの重要な場面となれば、準備もせずにぶっつけ本番はありえません。行政機関として外部に与える影響力が大きいためです。
公の場で不用意な発言があると、後で訂正、撤回するのは多大な労力が必要です。たとえ謝罪したとしても、「さっきの発言が本音なのだろう」と思われては信頼関係の回復も容易ではありません。
この点で、面接試験でも、面接官の疑念を生むような不用意な発言は、はじめから行わないに越したことはありません。
また、私生活で嫌なことがあってイライラしているとしても、それをそのまま都民や同僚にぶつけるということは、仕事の場面ではありえません。職務の場面で、自分のありのままの姿を出すということはそもそもないのです。
面接試験が、人生の進路を左右するかもしれない重大な場面であることは、面接官も認識しています。
そうした重大な場面に向けて、どのような態度で臨む人物か、限られた時間内に自分の良さを他人に説明するというミッションに対してどのように準備する人物か、という点も見られていることを忘れないようにしましょう。
なお、面接試験に向けた準備は、自己分析を深く行うことだけではありません。面接官の視点では、「自分自身のことを深く理解していること」と「採用後に職場で活躍できること」は別の話です。
ある受験生が、自己分析を深く行い、人物についての詳細な判断材料を面接官に提供した結果、「我が組織で力を発揮できる人材ではない」「他の組織のほうが向いているのではないか」との判断を下される可能性もあります。
どのような職業に就こうかと検討している段階なら別ですが、面接試験の段階では、自分自身の分析よりも、相手のニーズの分析が大切です。自己分析は、自分が相手のニーズに合致した人材であることを示す際の、説明ツールにすぎません。
通年学習から直前期対策までを見据えた